小学校に入学してから、アキラくんとの週一回のスイミング通いに一喜一憂していたその頃。
旦那から思いもかけないことを聞かされた。
「転勤が決まった。6月に異動だって」
その言葉を聞いて、私は泣いた。
何の涙だったのか。
せっかく小学校に慣れてきたのにまた新しい学校に転校しなければならない娘の不憫を思ってか。
今の小学校にもマンションにも自分の居場所が見つからない自分に、また新しい環境が与えられた喜びか?
とにかく親子でリセットされるのだ。
しかし、娘の学校のことを考えて、私たち2人が移動するのは夏休みに入ってからということになった。旦那だけ先に赴任先に行き、ひと月ほどは新居を探しながらホテル住まいすることになった。
転勤のことを田中さんに話すと、え〜そうなのか〜と、とても悲しんでくれた。せっかくアキラにこんなに仲の良い子が出来て喜んでいたのに残念です、と。
「いつも私は仲の良い人とはお別れになるの。以前アカネの仲の良いお友達も引っ越しで離れちゃったし。私はこういう運命なのかな〜」
田中さんの初めてのネガティブ発言を聞いて、なんだかグッと距離が縮まった気がした。
何よりこんな自分と別れるのを悲しんでくれる人が1人でもいた事実に感動していた。
まあ娘とのお別れを嘆いておられたんですけどね💦
そして、そこから
田中さん一家との濃厚な思い出づくりに忙しくなるのだった。
バタバタと、6月末に旦那が先に赴任先に旅立って行った。
残された私と娘。初めての娘との2人暮らし。
めちゃくちゃ気楽で快適でした〜!(旦那ごめんなさい💦)。
私たちが転勤で遠方に引っ越すことになって一番の気掛かりは実家の母でした。
母は長く神経症を患っていて、私たちが遠くに行くことをとても不安がっていた。認知症の症状が出始めた父と2人きりになる。私もとても心配でした。
そのことを軽く田中さんに話すと、
「じゃあ私たちがたまにお母さんのお家に遊びに行ったらダメかしら?
お母さまもアキラ達と接したら寂しくないんじゃないかしら?」
えええ〜〜‼️
そこまでしてもらったら悪いし、何より神経症の母も気を使う。
田中さんの過剰な優しさ(?)にビビりながらも、毎週のように遊びに誘われた。
7月に入ってからは毎週アキラくん親子とお出掛けする約束でスケジュールが埋まった。
田中さんは二言目には、「〇〇(娘)ちゃんともうすぐ離れるからいい思い出を作ろうね」だった。
でもちょっとだけ思った。この人はアキラくんの思い出を作りたいだけなんじゃないのか、と。
ある時、アカネちゃんのお古の洋服を段ボールに二箱もくれた。
もう着ないしでも捨てられなかった洋服だったらしい、綺麗なものもたくさんあった。
〇〇ちゃんに是非着てもらいたいから、と。
少しでも荷物を減らしていこうと断捨離も兼ねて荷造りしていた私は、その段ボールを見て絶望した。
またある時、荷造りも佳境に入っていた7月、荷造り手伝うよ〜と、田中さんから声がかかった。
はっきり言って、荷造りは一人で黙々とやりたい派の私。他人に自分の荷物を見て欲しくないし触られたくなかった。本心は。
なのに断れない私は、ありがとうございますと返事をしていた。
アキラくん達も来て娘は遊んでいるから良かったけど、私はわざわざ田中さん用の荷物を置いておき、来たらこれを箱に詰めてもらおうと用意していた。ばかだね。見られても恥ずかしくない食器類をお頼みした。
またある時、毎週お出掛けや遊びに行って、体力のない娘は疲れていた。子供でも仲良しと一緒にいても気づかれするもんである。
遊園地に行った帰りの電車でグッタリした娘。
田中さんも心配してくれていた。
家に帰ってすぐに嘔吐した。たぶん電車で我慢していたんだろう。熱もあった。
心配した田中さんから大丈夫?のメールがきたので、嘔吐発熱のことを伝えたら、今から一緒に夜間の病院に行きましょう!と。
え〜そこまでは、と戸惑っていると、悪くなったらいけないから、私いまから車で迎えに行きます、と。
断ればいい。相手に気を使わせて嫌なら断ればいい。でも気の弱い私は断れない。
結局一緒に救急病院まで行って診てもらったのだ。ただの風邪だったし。
そして家まで送ってくれたその後、夜9時頃回ってたかな、わざわざおにぎりと少しのおかずを持ってきてくれたのだ!ここまでやってくれる人いるかな。半ば感動すら覚えたけど、反面、わたしははっきりいってこれはやりすぎじゃないの?と思っていた。
そんなこんなで、引っ越しが終わり、その日は実家に泊まり、姉も帰省していたので、久しぶりに自分の身内で賑やかに過ごせた。
いよいよ赴任先に旅立つ日。
姉も空港まで来てくれた。
姉とも当分会えない。最後にゆっくり姉妹で話したかった。娘も従兄弟の姉の息子と遊びたかった。
なのになのに、
あの人が来た。
田中さんは当然のように空港まで送りますねと。
姉と田中さん親子と私たち。
なんだろこの関係。
姉ともゆっくり話すことも出来ず、お別れになった。
搭乗口で皆んなと別れた時、姉も田中さんも泣いていた。
私も泣いた。ホッとして。
やっと別れられた〜解放された〜。
全部私が悪いんです。
はっきり嫌なことは言えばいい、断ればいい。
後でぐちぐち言うならちゃんと自分の気持ちを言うべきだった。
嫌われたくない私はいつもこんなんだ。
あれ以来、田中さんほどのいい人には出会ったことはない。ただいい人過ぎる人には少し注意をしている。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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旦那から思いもかけないことを聞かされた。
「転勤が決まった。6月に異動だって」
その言葉を聞いて、私は泣いた。
何の涙だったのか。
せっかく小学校に慣れてきたのにまた新しい学校に転校しなければならない娘の不憫を思ってか。
今の小学校にもマンションにも自分の居場所が見つからない自分に、また新しい環境が与えられた喜びか?
とにかく親子でリセットされるのだ。
しかし、娘の学校のことを考えて、私たち2人が移動するのは夏休みに入ってからということになった。旦那だけ先に赴任先に行き、ひと月ほどは新居を探しながらホテル住まいすることになった。
転勤のことを田中さんに話すと、え〜そうなのか〜と、とても悲しんでくれた。せっかくアキラにこんなに仲の良い子が出来て喜んでいたのに残念です、と。
「いつも私は仲の良い人とはお別れになるの。以前アカネの仲の良いお友達も引っ越しで離れちゃったし。私はこういう運命なのかな〜」
田中さんの初めてのネガティブ発言を聞いて、なんだかグッと距離が縮まった気がした。
何よりこんな自分と別れるのを悲しんでくれる人が1人でもいた事実に感動していた。
まあ娘とのお別れを嘆いておられたんですけどね💦
そして、そこから
田中さん一家との濃厚な思い出づくりに忙しくなるのだった。
バタバタと、6月末に旦那が先に赴任先に旅立って行った。
残された私と娘。初めての娘との2人暮らし。
めちゃくちゃ気楽で快適でした〜!(旦那ごめんなさい💦)。
私たちが転勤で遠方に引っ越すことになって一番の気掛かりは実家の母でした。
母は長く神経症を患っていて、私たちが遠くに行くことをとても不安がっていた。認知症の症状が出始めた父と2人きりになる。私もとても心配でした。
そのことを軽く田中さんに話すと、
「じゃあ私たちがたまにお母さんのお家に遊びに行ったらダメかしら?
お母さまもアキラ達と接したら寂しくないんじゃないかしら?」
えええ〜〜‼️
そこまでしてもらったら悪いし、何より神経症の母も気を使う。
田中さんの過剰な優しさ(?)にビビりながらも、毎週のように遊びに誘われた。
7月に入ってからは毎週アキラくん親子とお出掛けする約束でスケジュールが埋まった。
田中さんは二言目には、「〇〇(娘)ちゃんともうすぐ離れるからいい思い出を作ろうね」だった。
でもちょっとだけ思った。この人はアキラくんの思い出を作りたいだけなんじゃないのか、と。
ある時、アカネちゃんのお古の洋服を段ボールに二箱もくれた。
もう着ないしでも捨てられなかった洋服だったらしい、綺麗なものもたくさんあった。
〇〇ちゃんに是非着てもらいたいから、と。
少しでも荷物を減らしていこうと断捨離も兼ねて荷造りしていた私は、その段ボールを見て絶望した。
またある時、荷造りも佳境に入っていた7月、荷造り手伝うよ〜と、田中さんから声がかかった。
はっきり言って、荷造りは一人で黙々とやりたい派の私。他人に自分の荷物を見て欲しくないし触られたくなかった。本心は。
なのに断れない私は、ありがとうございますと返事をしていた。
アキラくん達も来て娘は遊んでいるから良かったけど、私はわざわざ田中さん用の荷物を置いておき、来たらこれを箱に詰めてもらおうと用意していた。ばかだね。見られても恥ずかしくない食器類をお頼みした。
またある時、毎週お出掛けや遊びに行って、体力のない娘は疲れていた。子供でも仲良しと一緒にいても気づかれするもんである。
遊園地に行った帰りの電車でグッタリした娘。
田中さんも心配してくれていた。
家に帰ってすぐに嘔吐した。たぶん電車で我慢していたんだろう。熱もあった。
心配した田中さんから大丈夫?のメールがきたので、嘔吐発熱のことを伝えたら、今から一緒に夜間の病院に行きましょう!と。
え〜そこまでは、と戸惑っていると、悪くなったらいけないから、私いまから車で迎えに行きます、と。
断ればいい。相手に気を使わせて嫌なら断ればいい。でも気の弱い私は断れない。
結局一緒に救急病院まで行って診てもらったのだ。ただの風邪だったし。
そして家まで送ってくれたその後、夜9時頃回ってたかな、わざわざおにぎりと少しのおかずを持ってきてくれたのだ!ここまでやってくれる人いるかな。半ば感動すら覚えたけど、反面、わたしははっきりいってこれはやりすぎじゃないの?と思っていた。
そんなこんなで、引っ越しが終わり、その日は実家に泊まり、姉も帰省していたので、久しぶりに自分の身内で賑やかに過ごせた。
いよいよ赴任先に旅立つ日。
姉も空港まで来てくれた。
姉とも当分会えない。最後にゆっくり姉妹で話したかった。娘も従兄弟の姉の息子と遊びたかった。
なのになのに、
あの人が来た。
田中さんは当然のように空港まで送りますねと。
姉と田中さん親子と私たち。
なんだろこの関係。
姉ともゆっくり話すことも出来ず、お別れになった。
搭乗口で皆んなと別れた時、姉も田中さんも泣いていた。
私も泣いた。ホッとして。
やっと別れられた〜解放された〜。
全部私が悪いんです。
はっきり嫌なことは言えばいい、断ればいい。
後でぐちぐち言うならちゃんと自分の気持ちを言うべきだった。
嫌われたくない私はいつもこんなんだ。
あれ以来、田中さんほどのいい人には出会ったことはない。ただいい人過ぎる人には少し注意をしている。
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